木村多江の、いまさらですが… で憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージについて

その他

2024年5月27日放送の木村多江の、いまさらですが… で憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージーについて紹介されました!

連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデル三淵嘉子から、戦後を大きく変えた日本国憲法や家庭裁判所の役割である少年の更生について考えます。

 

憲法と家庭裁判所「虎に翼」三淵嘉子からみる少年法

 

「男女平等」にむけて

昭和11年改正弁護士法が施行され、女性にも弁護士の門戸がひらかれ、三淵嘉子は昭和15年女性初の弁護士となりました。

大正デモクラシーの影響や市川房枝さんたちの活動が後押ししました。

 

裁判官への道へ

戦後日本国憲法が施行されましたが、当時は裁判官は実質上男性でした。

昭和22年嘉子さん司法省人事課へ採用願いを提出しました。まず、同職員として勤務することになりました。

昭和24年嘉子さんは、運命の家庭裁判所が開設されそこに勤務することになりました。

そして同年8月に裁判官になりました

家庭裁判所は「家庭に光を、少年に愛を」というモットーを持ち、冷たい厳正な今までの裁判所とは全然性質を異にした、新しい性格の裁判所なのです

昭和37年に東京家庭裁判所に移動しました。戦後の少年事件が2度目のピークに達した時代でした。町にあふれたいわゆる「不良」が多く押し寄せました

昭和47年には、女性初の家庭裁判所長となりました。その裁判所は窓にカーテンを新調し、壁に絵をかけ、また休み時間には廊下に音楽を流すなど、今までの家庭裁判所の雰囲気を変えていきました。

 

多くの少年を更生への道へ

嘉子さんは少年法の基本理念である、少年の健全育成を貫いた裁判官でした。
審判を担当した少年は5000人で多くを更生に導きました。

昭和58年には58万件あった少年事件も令和4年には4万件を下回るようになりました

まとめ

木村多江の、いまさらですが… で連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデル三淵嘉子から「憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージー」についての紹介をまとめました。

少年法の問題については色々な議論がありますが、戦後から「少年の更生」導いてきた功績は輝かしいものがあると感じます

タイトルとURLをコピーしました