今日は、エンターテイナー伊集院光さんについてお話ししましょう。
彼は、テレビ、ラジオなど多岐にわたるメディアで活躍している才能溢れる人物です。
伊集院光さんの魅力は何と言ってもその多面性です。彼はコメディアンとしての才能を持ちつつ、深い洞察力と知識を持つ評論家でもあります。また、彼の人間性や個性もまた、多くの人々に愛される理由の一つです。
- 伊集院光の出身地とは?
- 落語家としてデビュー
- 芸人からエンターテイナーへ
- 落語家としての復帰?
- まとめ
伊集院光の出身地とは?
- 本名:篠岡 健(しのおか けん) 旧姓:田中
- 生年月日:1967年(昭和42年)11月7日
- 出身地:東京都荒川区西尾久
伊集院光さんは、1967年11月7日に東京都荒川区西尾久で生まれました。
西尾久は、荒川区の北東部に位置し、荒川と隅田川に挟まれた地域です。東京で唯一残る路面電車の都電が走り、荒川遊園地があり、伊集院光さんが通っていた2023年で創立100年を迎えた荒川区立尾久西小学校や荒川区立第七中学校があります。
荒川区立尾久西小学校と都電荒川遊園地駅
高校は、東京都立足立新田高校です。当時同校は開校からまだ間もない5期生として入学しました。
三遊亭楽太郎に弟子入りし落語家としてデビュー
伊集院光さんが落語家として初めて高座に上がった所は、東京都江東区東陽町にある寄席若竹でした。
NHKより
寄席若竹は、1985年に五代目・三遊亭円楽さんが開業した円楽一門会(5代目:三遊亭円楽)の寄席で、伊集院光さんの師匠である六代目・三遊亭円楽さんや、他の落語家たちも多く出演していました。しかし、1989年に閉鎖され、現在は若竹ビルという6階建てのテナントビルになっています。
伊集院光さんは、高校三年生の時に、三遊亭楽太郎さん(六代目・故三遊亭円楽さん)に弟子入りし、三遊亭楽大(さんゆうていらくだい)という名前で落語家として活動を始めました。そのため高校は卒業目前の3年生の2月に中退しました。
伊集院光さんは、落語家としての才能もあり、1988年には二つ目に昇進し、NHK新人落語コンクールにも出場しました。
芸人からエンターテイナーへ伊集院光の凄さ
しかし、伊集院光さんは、落語家としての活動と並行して、伊集院光という芸名でラジオの深夜番組に出演していました。
伊集院光さんは、1987年にニッポン放送のお笑いオーディション番組に出演して優勝し、その後、伊集院光のオールナイトニッポンという冠ラジオ番組を持つようになりました。
伊集院光さんは、ラジオでの歯に衣着せない毒舌と、タブーを恐れない軽妙なトークで人気を集めていきました。
伊集院光さんは、ラジオでの活動が落語界で問題視されることを恐れて、師匠に内緒でラジオに出演していましたが、1990年になって、伊集院光としての人気が高まりすぎて、一門に知られてしまいました。
伊集院光さんは、師匠に謝罪して、落語家としての廃業を申し出ましたが、師匠は怒らずに「伊集院という名前で落語をやったっていいんだよ」と言ってくれました。
しかし、伊集院光さんは、「いや、落語の方はこれでキッパリとケリをつけます」と言って、落語家を辞めてしまいました。
伊集院光さんは、その後、ラジオやテレビなどでタレントとして活躍するようになりましたが、落語家時代の思い出やエピソードを話すこともありました。
落語家としての復帰?
伊集院光さんは、2021年6月13日に、師匠の円楽さんと「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」という落語会を開催し、高座に約30年ぶりに復帰しました。
夢空間より
伊集院光さんは、三遊亭楽大として「子ほめ」と「釜泥」を演じ、円楽さんとの掛け合いも楽しませました。伊集院光さんは、落語家としての復帰について、「落語をやるのは楽しいけど、落語家としてやるのは辛い」と語りました。
産経新聞
伊集院光さんは、落語家としての活動を再開するかどうかは明言しませんでしたが、落語への愛情は変わらないことを感じさせました。
以上が、伊集院光さんの出身地や落語家時代のエピソードを紹介した記事でした。
まとめ
- 伊集院光さんのルーツは、荒川区西尾久。幼少期から中学までを地元で過ごしました。
- 都立高校を中退した彼は、落語家としてデビュー。同時期には内々にラジオ番組にも出演していました。
- 落語の舞台を卒業後、彼は幅広いエンターテイメント活動に挑戦し、今もその活躍は続いています。
伊集院光さんは、落語家としてもタレントとしても、多くの人々に笑いと感動を与えてくれる素晴らしい芸人です。これからも、伊集院光さんの活躍に注目していきたいと思います。
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