鈴木誠也の出身地荒川区:少年時代の躍動感と野球人生

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こんにちは、MLBのシカゴ・カブス鈴木誠也ファンの皆さん。

今回は、私と同郷である野球選手・鈴木誠也さんの出身地、驚きのルーツを深掘りしてそのエピソードについて、書いてみたいと思います。

鈴木誠也さんは、2022年にMLBのシカゴ・カブスに移籍し、日本人の外野手として活躍しています。しかし、彼は東京都荒川区町屋という下町の出身で、野球の名門校には通っていませんでした。では、どうして彼は野球の道に進んだのでしょうか?そして、彼のルーツにはどんな驚きが隠されているのでしょうか?それでは、見ていきましょう。

鈴木誠也 – Wikipedia

この記事の内容

  • 鈴木誠也の出身地と野球への情熱
  • 鈴木誠也の生い立ち
  • 地元荒川区での野球へのめぐり合い
  • 鈴木誠也の小学校時代
  • 鈴木誠也の中学校時代
  • 高校は、二松學舍大学附属高等学校に進学
  • 鈴木誠也驚きのルーツとエピソード
  • 鈴木誠也の未来展望

 

鈴木誠也の出身地と野球への情熱

鈴木誠也の生い立ち

鈴木誠也さんは、1994年8月18日に東京都荒川区町屋に生まれました。

鈴木誠也さんは祖父が、町屋駅前(旧町屋一丁目駅)の近く京成町屋駅近郊高架下に「喫茶MACHIYA」を開店しました。ランチがモダンで近所ではいつも賑わっていました。

「エコノミーホテルほていや」ブログより

2011年の東日本震災後、地域整備のために高架下の喫茶店は姿を消しました。

 

 

町屋は、野球の舞台としても有名で、漫画「巨人の星」の舞台として知られています

実は、鈴木誠也さんの父・宗人さんと小学校5年生の時、テレビ東京の番組「出没!アド街ック天国」に登場しております。
2006年3月18日放送分で「町屋」の特集の番組で、私も地元の紹介という事でテレビ録画しながら視聴しました。

宗人さんが経営していた喫茶店の横で、高架下での練習風景が話題になりました。地元の人々からは「平成版巨人の星親子」として称されました。

宗人さんは「僕も周囲に『星一徹みたい』と言われた。あんなに厳しくないけど…」とスポーツ紙に話しています。

地元荒川区での野球へのめぐり合い

鈴木誠也さんは、小学2年生の時に荒川リトルで野球を始めました。当時は投手として活躍しており、中学時代には荒川リトルシニアに所属していました。

地元の硬式野球荒川リトルシニアの会長・事務局長の石墳成良(いしづかなりよし)さんは、地元町屋のとなりにある東尾久で相馬工業(有)という金属加工業を営んでおります。

相馬工業(有)

石墳さんはインタビュー記事で「普段はおちゃらけていたけど、やる時はやるタイプだった」とコメントしています。
相馬工場は、私の自宅近所です。石墳さんは近所の人と「すごい野球選手を育ててしまった」と話しているのを聴いております。

東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

相馬工業に石墳さん手作りの鉄の棒があり、長さ七十五センチ、直径二センチ、重さ一キロ。

鉄バットといえば星飛雄馬の宿命のライバル・花形満の大リーグボール1号攻略の猛特訓が有名です。鈴木誠也選手も少年時代、この鉄の棒を打力向上のために振り込んでいたとのこと。まさしく「リアル巨人の星」ですね。

鈴木誠也の小学校時代

鈴木誠也さんの出身小学校は、地元荒川区町屋の荒川区立第五峡田(はけた)小学校です。

荒川区立第五峡田(はけた)小学校「正門」

隣には、地元町屋で有名なスーパーがあり、そこから尾竹橋通りに向かうと、通り沿いの歩道に今回の東京オリンピック金メダルの記念のゴールドポスト(第51号)があります。

 

鈴木誠也の中学校時代

鈴木誠也さんの出身小学校は、地元荒川区東尾久にある荒川区第九中学校です。

この中学校は、私の母校でもあり、夜間学校を開催しております。1993年映画「学校」(監督山田洋二)での舞台になり主演は西田敏行さんです。この映画は、日本アカデミー賞やキネマ旬報賞などで多くの賞を受賞し、高い評価を得ました。

荒川区第九中学校「裏門」

ここから、鉄バットのある相馬工業は、尾久本町通り商店街を抜けるとすぐです。鈴木誠也さんは地元の荒川リトルシニアで野球の才能を開花し抜群の存在感を示すようになりました。

 

高校は、二松學舍大学附属高等学校に進学

二松學舍大学附属高等学校HPより

この高校は、東京都では野球の強豪校でありました。鈴木誠也さんは投手として1年生の秋からエースになりました。しかし、甲子園には出場できませんでした。それでも、鈴木誠也さんは野球に情熱を注ぎ続けました。そして、プロ野球へ進むことになります。

鈴木誠也驚きのルーツとエピソード

鈴木誠也さんのルーツには、驚くべきものがあります。

彼は、自分の名前の由来がイチローだということを知っていますか?

実は、鈴木誠也さんの父・宗人さんは、イチローの大ファンでした。イチローがオリックス・ブルーウェーブに入団した1992年に、息子が生まれることを知った宗人さんは、イチローの背番号51にちなんで、誠也と名付けたのです。鈴木誠也さんは、そのことを知ってから、イチローに憧れるようになりました。

そして、広島東洋カープに入団した時には、イチローと同じ背番号51を着けました。鈴木誠也さんは、イチローのような選手になりたいという夢を持っていました。

鈴木誠也さんには、他にも驚きのエピソードがあります。

彼は、高校時代には投手として活躍していましたが、広島東洋カープに入団した時には、内野手に転向しました。その理由は、広島のスカウトが鈴木誠也さんの打力と走力を高く評価したからです。鈴木誠也さんは、野手転向に抵抗はなかったと言います。彼は、野球が好きで、どのポジションでもやりたいという気持ちがあったからです。

二松學舍大学附属高等学校同窓会 松友会より

鈴木誠也さんは、野手転向後も、素晴らしい成績を残しました。2019年には、打率.335、本塁打28、打点90という好成績で、首位打者と最多打点のタイトルを獲得しました。

また、日本代表としても、WBCやプレミア12などの国際大会に出場し、活躍しました。

鈴木誠也の未来展望

以上、私が紹介した鈴木誠也さんの出身地、驚きのルーツとエピソードでした。

 

この記事のポイント
  • 鈴木誠也さんは、2022年にMLBのシカゴ・カブスに加入し、外野手として新たな舞台に挑戦中。そのプレーはまさに日本のトッププレイヤーの中でも際立っています。
  • 彼のルーツは東京都荒川区町屋。このエリアは、下町の温かな雰囲気が広がり、鈴木誠也さんの祖父が代々営んでいた有名な喫茶店で賑わっていました。
  • 少年時代から鈴木誠也さんの野球センスは抜群で、地元ではその名が知れ渡っていました。

 

私は荒川区東尾久出身で現在も居住しております。ここから、彼の今後のMLBのシカゴ・カブスでの活躍を応援しています。

それでは、また。

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